石橋守調教師は縁のある“メイショウ”の馬でGI初制覇

宝塚記念を制したメイショウタバル(c)netkeiba
勝った4歳牡馬メイショウタバル(父ゴールドシップ)は心身ともに成長し、確実に強くなっていた。もうムキになって折り合いを欠いたりはしない。3歳時はゴロンと映った身体が、馬体重の変化はなくてもずっとシャープになっていた。
そこにベテラン武豊騎手の、正確無比のペース判断が重なり、大接戦と思われた結果は「3馬身」差の圧勝劇となった。ムリなく主導権を握った武豊騎手とメイショウタバルの作った2200mの中身は、前半1000m通過「59秒1」。理想のマイペースに近い。
さらにそこからの1000mがまさに絶妙。「12秒2-11秒9ー11秒9-11秒8ー11秒7→」=「59秒5」。少しずつ加速したラップなので、差を詰め並びかけたい後続は、簡単にはピッチの上がらない稍重の芝も重なって、息の入らない苦しい追走になってしまった。メイショウタバルの2000m通過は「1分58秒6」になる。
途中でペースを落としていないから、さすがにメイショウタバルも苦しくなって最後の1ハロンは「12秒5」となったが、追撃したライバル(ベラジオオペラなど)の方がもっと苦しくなっていた。
ふつうは「鮮やかな逃げ切り」と形容されるレース結果だが、これは武豊騎手とメイショウタバルが作り上げた会心の2200mのレース結果であり、追っ手から逃げて逃亡したレースではない。「逃げ切り」は古くからある勝ち方のひとつで、少しも不思議ではない表現だが、今回のようなビッグレースで、先頭に立って自らレースを作り上げた結果であり、別に追撃してくる相手から逃げまくったわけではないのが、実際の中身である。よりふさわしい決まり手表記はないものだろうか。
メイショウタバルは、騎手時代の2013年に、石橋守調教師が最後の勝ち星を記録したメイショウツバクロ(父フレンチデピュティ)の子供であることはすでに知られている。その産駒で調教師として初のGI制覇は、メイショウの松本オーナーとの深い結びつき(メイショウサムソンでの皐月賞、日本ダービー制覇など)があって生じた、みんなに喜びをもたらす素晴らしい1勝だった。メイショウツバクロには、今春、メイショウタバルの全妹になるゴールドシップ産駒の牝馬が誕生したと伝えられた。
人気のベラジオオペラ(父ロードカナロア)は、落ち着き十分の好気配。早めに好位4番手を確保して流れに乗ったレース運びに隙はなかった。ただ、マイペースで先頭を行くメイショウタバルを最大のライバルとする状況ではなかったのは事実。レース後半になってまだ楽だったメイショウタバルに少しずつピッチを上げられたのは予想外に苦しい展開だった。自分からスパートしたように見えて、実は大幅に良化して強くなっていたメイショウタバル(武豊騎手)にレースの主導権を握られていた。
また、全6勝が2000m以下に集中し、2000mを超えると「4、2、3、4、2」着の成績が示すように距離のカベがあったかもしれない。とくにタフなレースになった今回は直線で最後まで伸び切る脚はなかった。
上位5番人気までの有力馬のうち、着順掲示板に載ったのはベラジオオペラだけ。稍重にしては2分11秒1の勝ち時計は速い。決してハイペースではないが、道中で追走のライバルに楽な部分を与えなかった武豊騎手(メイショウタバル)のペース配分はすごい。最後の1ハロン12秒5が全11ハロンの中でもっとも時計を要した数字となったのは、2008年にエイシンデピュティ(父フレンチデピュティは、メイショウタバルの母の父に登場)が、2分15秒3も要した重馬場で押し切った際の「12秒9」以来のことだった。
この数字は苦しい最後のゴール前を示す何よりの記録であり、これが今年、期待の人気馬が予想外に苦しくなって大敗に追い込まれた最大の理由かもしれない。