6番人気での
桜花賞奪取劇。実は将棋のように考え抜かれた一手を何度も繰り出した末の勝利だった。その始まりは前週火曜の美浦。
キストゥヘヴンは、あっと驚く火曜追いをかけたのだ。
坂路で4F51秒9。「土曜にスクーリングをしたい。そこで金曜に輸送する。追った後は一日でも(多く)間隔が空いた方がいいので火曜に追った。初めての関西輸送でもあるし、小さい馬だから」。
戸田博文師は、驚く報道陣にその意図を説明した。
桜花賞に挑む関東馬が直前、栗東に滞在することは今や珍しくなく、当時も少数ながらいた。ただ、火曜追いから金曜に競馬場へ長距離輸送という馬は、ほとんどいなかった。いわば、常識破りだ。
キストゥヘヴンは戸田師の描いたプランにしっかりと乗った。土曜の阪神ではパドック、馬場をスクーリング。自ら手綱を取った戸田師は、その落ち着いた様子に「やれることは全てやった。変わりなくきている。期待したいね」と満足げに語った。
寸分の狂いもなく仕上がり、レースを迎えた
キストゥヘヴン。
父アドマイヤベガ譲りの優美な馬体はパドックで輝き、前走で
キストゥヘヴンを
フラワーC制覇に導いた
横山典弘(
コイウタ騎乗)は「やべえ」とつぶやいた。
馬体重は
フラワーCと同じ418キロ。「馬体重の維持が最重要の課題だった。うまくクリアできた」。戸田師はこの時点で
キストゥヘヴンの快走を確信した。
またがった安藤勝己も状態の良さを感じ取った。中山での未勝利戦を制した時が安藤の手綱。癖や性格は分かっていた。
道中は16番手付近。折り合い重視のポジションだったが、偶然にも前には1番人気の
アドマイヤキッスがいた。明確な目標ができ、一気に競馬がしやすくなった。
4角。その
アドマイヤキッスを見つつ、大外に出す。戸田師の策によって絶好調に仕上がった
キストゥヘヴンの末脚がうなりを上げた。残り50メートルで先頭に立つ。ゴールを迎える前からアンカツの右腕が上がった。
安藤は語った。「
ライデンリーダーも喜んでくれるかな」。95年
桜花賞。4歳牝馬特別(当時)を快勝した笠松の快速馬で大一番に挑んだ安藤だったが、1番人気に応えられず4着に散った。
もっと腰を据えて中央で乗っていかなければ関係者の期待に応えられない。そう考えた安藤は、その後に
JRA移籍を果たす。いわば
ライデンリーダーは“アンカツ中央入り”のきっかけとなった馬であり、その契機は
桜花賞だった。
この一戦の前は「
桜花賞みたいな大きなレースは、そう勝てないから」と言っていた安藤だが、
キストゥヘヴンで勝った翌年も
ダイワスカーレットで連覇。それどころか
ブエナビスタ(09年)、
マルセリーナ(11年)で次々と勝ち、何と6年で4勝もしてみせた。
「そう勝てない」どころではない。
ライデンリーダーは喜びっぱなしだったことだろう。
スポニチ