競馬に限らず、スポーツではときに「神がかり」「奇跡」と評されるシーンが生まれる。今から18年前の2006年2月26日、
阪急杯当日の出来事もまさにそんな言葉を当てはめることができるのではないか。
2月は競馬界にとって別れの季節。騎手がステッキを置き、解散となる厩舎も出てくる。この日、現在は調教師として活躍中の
松永幹夫騎手がラス
トライドを迎えていた。1986年にデビューし、91年の
オークスを
イソノルーブルで制すなど、
JRA・GIを6勝。騎手人生の途中には大ケガもあったが、この前日までに積み重ねた白星は1398と、節目まであとわずかに迫っていた。
最終日の騎乗予定は6鞍。2Rで2番人気2着に入ったものの、1着が遠かった。3Rで2番人気2着、6Rで1番人気2着、9Rで5番人気6着。見せ場は作るものの、1400勝の文字への
タイムリミットは刻々と迫っていった。
迎えた
阪急杯で騎乗したのは11番人気の
ブルーショットガンだった。主戦騎手のひとりとして同馬とは3勝を挙げており、勝手知ったるパートナー。しかしオープン昇級後は8着、13着と壁にぶつかっており、厳しい評価がほとんどだった。
そんな声は関係なかったーー。
好スタートから道中は7,8番手を追走すると、4コーナーから直線にかけて、これ以上ない手応えと進路取り。まるで何かに導かれるように、前がポッカリ空いたターフを弾丸のように駆け抜けていく。松永騎手も無心で追うと、残り200m、残り150m、勢いはまったく衰えることはなかった。
内から
オレハマッテルゼ、外から
コスモシンドラーの人気2頭が追ってきたが、
ブルーショットガンは明らかに余裕があった。半馬身差の完勝。一世一代の大駆けに、松永騎手は思わず白い歯。節目まであと「1」で、現役"最終レース"に挑んだ。
流れは確実に来ていた。単勝1.5倍の
フィールドルージュに騎乗して、3馬身半差の圧勝。全9戦のうち7戦で手綱を執ってきた相棒を2勝目に導き、自身は1400勝の大台に乗せたのだ。「最後の最後、かっこよく決めてくれました
松永幹夫!」。ゴールしてからも、実況やファンは何度も、何度も、“
松永幹夫”の名を呼んだ。
ひたむきな姿勢と、物腰の柔らかい雰囲気でファンや関係性のみならず、競馬の神様からも愛された名ジョッキー。最後は「神がかり」「奇跡」な連勝劇で、騎手人生にピリオドを打ったのだった。